僕の45年間ー1102011/04/01 21:43

 「こちらがレッスゴーさんで経営者」と言って紹介をしてくれました。僕は日本人学生ですと自己紹介をしましたら、彼は横浜へは行ったことがあるといい、その場で採用をしてくれました。僕は翌日から働くことになりました。


 パブの裏口から入り、エプロンを渡されてキッチンに案内されました。そこにはすでに中年の女性が皿洗いの仕事をしていました。彼女はもうじきに止めるので僕が後任でした。食器洗い機の使い方や仕事の手順を教わりました。


 調理長はルイさんという小柄な赤ら顔の人でした。いつもビールのグラスを片手に仕事をしていました。
 6時からの営業でしたからその前に僕は食事を済ませることになっていました。ルイさんがスパゲッテーがいいか、ソーセージとポテトチップス*がいいかと訊いてくれましたのでソーセージをお願いしました。


*イギリス英語では、ポテトチップスはアメリカ英語でFrench friesのことです。アメリカ英語のpotato chipsはイギリスではCrispsと言っています。


 ルイさんは明日からは自分で用意をしなさいといってやり方を教ええてくれました。キッチンの片隅の小さなテーブルで独り、大好きなイングリッシュソーセージの夕食を食べました。


 皿洗いの仕事は客が入ってこないと暇です。しばらくの時間は手持ち無沙汰でしたが7時を過ぎたころから汚れた皿がどんどん増え、忙しくなりました。ルイさんはそれでもビールグラスを手から離すことなく飲んでいました。


 キッチンの外階段は地下の大きな仕込み室へつながっていました。そこには巨大な冷蔵庫や冷凍庫があり食材が保管されていました。通常は、ルイさんはもう一人の若いシェフに指示をして食材をとりにやりましたが忙しくなると僕が指示されました。「Osaka, get me a rainbow troutニジマスを取って来い」とか「Get me a Dover sole舌ヒラメを取って来い」といった具合です。しかし、仕事を始めた当時の僕にはそれらの魚などがどんな形なのかすら分かりませんでした。かといって、殺気立っている雰囲気の中で食材の形や色を説明をしてもらうことはできませんでした。僕はとりあえず「Yes. Louis」といって外階段を駆け下りて、それらしき食材を手にしてキッチンに戻ると、それじゃないと言われ、また地下までの階段を下りるということを繰り返しました。
僕はそれ以来、暇なときには地下へ下りて辞典を片手に食材の名称を覚えるようにしました。


写真はパリの北駅に増設されたガラスの駅舎 2004年12月
Free Access Counter Templates