僕の45年間ー622011/01/22 23:53

 守衛さんに「Thank you」といって門を出ました。幸い雨は上がっていましたが外はもう暗くなっていました。僕らはブルブルッと震えを覚えました。さっき来た幹線道路をめがけてしょぼしょぼと歩き始めました。

 シックの工場では日本人女性2人がアルバイトを探していると理解していたらしく、男が現れてびっくりしたようでした。僕らもそれが分かったときには噴出してしまいました。
 電話をしてくれた日本人女性に事の顛末を知らせようと思ってみたものの、浅はかなことに名前や電話番号を聞くことすらせずに別れたのでした。一緒に笑えたのにと思うと今でも残念なことです。

 どのようにしてユースホステルまで戻ったのか記憶がはっきりしません。
翌朝、目が覚めると同時に受付に飛んでゆきました。もう一泊をお願いするためです。しかし、あっさりと断られました。予約で一杯だという事でした。仕方がありません。荷物をまとめながら、夕方までアルバイトを探して見つからなかったらハンブルグを目指そうと決めました。

 ユースホステルの受付で日本のレストランのある地域と行き方を教えてもらいました。言葉の能力からして皿洗いの仕事しかないであろうと言うことは覚悟をしていました。何軒か飛び込みで仕事を探しましたが芳しくはありませんでした。そのようなレストランで働いていた若い人たちから別の店を紹介してもらったりもしました。中華料理店をも試みました。しかし、話を総合するとアムステルダムで仕事探しをすることは難しそうでした。
 昼時になって大きな通りに出ました。屋台で丸いパンにロースとビーフをはさんだサンドイッチを1つとコーヒーを買い公園のにベンチに二人で腰を掛けて昼飯の足しにしました。それは素朴な味で極上の昼食だと思えました。感動を覚えました。今でもアムステルダムへ行くと屋台の店が無いか探してしまいます。もっとも飢餓状態の当時の僕らには何を食べても最高にうまかったのですが。
 いろいろな日本人に会う事は出来ました。その人々にデュッセルドルフの様子を尋ねました。「あそこだったら仕事があるだろう」という楽観的な情報と「時期が悪いよ。冬だから客が少ないし、今の時期に仕事をやめて旅行に出る日本人はいないから」というのが大方の反応でした。
 ここでの職探しは無理だろうという雰囲気に少しずつ押されてあきらめのムードになってきていました。


 写真は2008年11月。アムステルダム中央駅のプラットホーム。

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