僕の45年間ー602011/01/22 09:35

 僕らは電話ボックスを出て女性に教えてもらった道順を確かめながら大きな道路へ出ました。車は猛スピードで水しぶきを上げて走っていました。こんなところでヒッチハイクが出来るのだろうかと心配になりました。冷たい雨が降ったり止んだりしていました。
  今朝までの僕らの気持ちは息苦しさに満ちていました。青空はここ数日顔を出すことが無く、鉛色の低い雲がどんより覆いかぶさっていました。出来るだけ早くアルバイトを探し、手持ち資金が減ることを抑えなければという気持ちだけが先行していました。
  シック工場までヒッチハイクでどれくらいの時間が掛かるかは知るよしもありませんでした。僕らは車の水しぶきを浴びながら懸命に路肩を歩きながら右手の親指を突き出し、ひたすら止まってくれる車があることを念じました。
  アムステルダムの1月下旬、雨模様の夕方はドンドン薄暗くなり始めていました。こんなことをしていて大丈夫なのかという思いが片隅にあり、一方では今はこれしか望みは無いという切羽詰った気持ちが入り混じっていました。

  僕は何故かアメリカへ旅行をしようとは考えもしませんでした。ミッキー安川の本はアメリカでの体験記でしたから、僕もアメリカのことを考えても良かったと思うのですが全く頭にありませんでした。一つにはフランス語への興味があったことがヨーロッパを選んだ理由かもしれないと、後々思いました。大学ではじめてフランス語の音に接し、何故か引かれたのを覚えています。それなら、と自分では思うのです。どうしてちゃんと勉強をしないのだろうかと。僕の興味の程度はその程度かと、自虐的に決め付け、同じ頭で英語も勉強しなければという二兎を追うような思いに駆られて、「お前は何をどうしたいんだ」「結局は何も達成しないで日本に帰るつもりか」と小雨の中を歩きながらの頭の中が混乱をし始めていました。

  高橋さんは相変らず元気よく親指を挙げながら僕の前を歩いていました。一時間以上は歩いたと思います。気持ちが萎えはじめた頃でした。小型のトラックが僕らを通り過ぎたなと思ったら、前方の路肩に止まってくれたのです。僕らはそのトラックめがけて走り出しました。電話ボックスの日本女性が渡してくれた新聞の募集欄の切り抜きをトラックの主に見せました。僕はそのトラックの主の顔の表情を最大限の注意を持って読み取ろうとしていました。すぐに「乗れ!」という合図に思えたのでそそくさと乗り込みました。


 写真は2008年11月。運河と自転車の街でした。

コメント

_ 平田 ― 2011/01/22 17:51

久しぶりの「僕の45年間」ですね!
はらはら、どきどきの連続です。
見知らぬ土地での親切は神様のヘルプのような気がします。
だから温かい人柄はこんな経験をされていたからにじみ出てくるんですね~!
千代さんが「苦労は買ってでもしなさい」といつも云っていたのを今、思い出しました。

_ 大坂忠 ― 2011/01/22 20:52

いつも若造の体験談を読んでいただいてありがとうございます。
なかなか思うように書けず七転八倒しています。
これからもどうぞよろしく。
千代さんによろしくお伝えください。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://tadashi.asablo.jp/blog/2011/01/22/5645835/tb

Free Access Counter Templates