僕の45年間-202010/03/30 20:10

匂いが思い起こさせる記憶は人によっていろいろあるような気がします。
そのことを意識したのは前述のカンボジア号での油性ペンキです。
僕にとってのペンキの匂いは若い頃のいろいろな場面を想起させます。

イギリスで下宿生活をしていた頃です。
適当なアルバイトが見つからず、手持ちのお金を何度も計算をし、2週間くらいもしたら下宿代を払えなくなるな、と思った頃があります。今は分かりませんが当時の下宿代は週払いでした。アルバイト賃は無論、会社員も高給取りでない人たちは週給が普通でした。
下宿屋のおばさん(Fifyと呼ばれていた40歳代の、小学生の息子2人を持つシングルマザー)にその旨を話しました。つまり、下宿を出なければならないだろうから、食事なしの安いアパートを紹介してもらえないかと相談をしたのです。Fifyはしばらく考えてこう言いました。
Can you paint? 
If you can you can stay free of board while you paint all the rooms in the house.
(ペンキを塗れるなら、全部の部屋のペンキを塗り終えるまでは下宿代を無料にする。)
僕は少しですがペンキは塗ったことがありました。東京に住んでたときに庭の片隅に大工仕事が得意な兄が暗室を作ってくれたのですが、そのペンキ塗りは僕がやったので少しの経験はありました。そこではったりで
Yes, I can paint.と言ってしまいました。
この下宿は3階建で部屋が10室くらいある大きな家でしたからしばらくは食いつなげると算段しました。
僕はその日の内に、3階のその上にあった屋根裏部屋い引っ越しました。
3階の踊り場から通常のよりも狭く急勾配な階段を上った、物置のようになっていたほこりっぽい部屋を腰をかがめながら掃除をして、ベッドと机を入れました。新たな僕のお城ができました。広さは十分でしたが屋根の形と同じ三角の勾配があり背中を伸ばして立てるところは限られていました。所々に長い釘が出ていて、危ういところで頭にけがをするということもありました。
僕はFifyの気持ちを本当にありがたいと思いました。Fifyは夕食の時に他の下宿生に事情を話してくれました。大学受験の浪人生がほとんどで、イギリス人やアラブ人、みんなが拍手をして喜んでくれ、握手をしてくれました。
翌日から午前中の語学学校が終わると午後からペンキ塗りを始めました。夕食後は皿洗いもしました。

僕にとってのペンキの匂は、お世話になった下宿屋のFifyの親切さを昨日のことのように鮮明に思い出させてくれるものです。
また、この屋根裏部屋は僕の英語習得にもっとも大事な一場面を経験させてくれました。そのことはまた次回にでも。

写真はハンモックに揺られながらはえを追うマーケットの肉屋さん
(カンボジアのシュムリアップ)
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