横光利一の「旅愁」 32013/10/14 21:33

 また横光利一を。

 矢代と久慈、ロンドンからパリ現物に来た千鶴子の三人は食事一緒にしたりして互いの心情を語り合っています。そんな会話の中に下記の一説があります。

 矢代は少し早口で云った。
 「ここじゃ僕らの頭は、ヨーロッパというものと日本というものと、二本の材料で編んだ縄みたいになっていて、そのどちらかの一端へ頭を乗せなければ、前方へ進んでは行けないんですね。両方へ同時に乗せて進むと一歩も進めないどころか、結局、何物も得られなくなるのですよ。」
 「それや、そうね、あたしも何んだかそんな気がしますわ。」と千鶴子は幾らか思いあたる風に頷くのだった。
 「しかし、それは、実は日本にいる僕らのような青年なら、誰だって今の僕らと同じなんだろうけれども、日本にいると、黙っていても周囲の習慣や人情が、自然に毎日向うで解決していてくれるから、特にそんな不用な二本の縄など考えなくともまアすむんだなア。へんなものだ。」

 ここの「二本の材料で編んだ縄」は多分、自分たちが慣れ親しんだ日本の文化に基づいた物差しと、もう一つはパリの物差しのことだろうと思います。つまり、初めてのパリを体験しながら二つの文化というか価値観の両方を意識し始めているのが分ります。
 このことは外国の文化に生で接した者なら多かれ少なかれ、意識することだろうと思います。

 近頃はこの「二本の材料」が二本だけでは済まなくなている状況が多々あります。国家間のことで言えば、二国間条約であれば二本の材料で済みますが、それが三カ国間条約、G7サミット、最近のTPPとなると互いに主張することが大幅に異なります。
 僕が日本の政治家の発言をみていて思うのは、横光利一のいう「日本にいると、黙っていても周囲の習慣や人情が、自然に毎日向うで解決していてくれるから」という感覚から抜け出せずにいるのではないかということです。このことは、言い換えると「以心伝心」を信じて「アウンの呼吸」で理解し合えると思う浅はかさの露呈に他ならないと思うのです。
 つまり、日本の動向が世界のどこかの国なり人々に何かの影響を与えうるということを認識していないふしがうかがわれるということだと思うのです。

 この「以心伝心」や「アウンの呼吸」ほど当てにならないのはないと僕は思っているのです。
 昔、英語を教えていた時のことです。生徒さん方は6~7人の中年の主婦でした。「以心伝心」を英語で何と言うのかが話題になりました。その時にそれぞれの生徒さんの夫の食べ物の好みをノートに書いてもらいました。そして、翌週のレッスンまでにそれが本当に夫の好みなのか言葉で確認をしてもらったのです。
 結果は僕の予想通りでした。約半分は妻の勝手な思い込みでした。中には結婚して30年来、土日の昼食はそばに決めていた方が居ました。その方は思い切って夫に聞いてみました。答えは「そばはあまり好きではないけれど・・・」という返事であったそうで、教室で大笑いとなりました。

 ちなみに「以心伝心」を英語ではheart-to-heart communicationとかnonverbal communication、unspoken communicationとなります。

 写真はたくさんの言語が聞こえてくるパリのリヨン駅。2005年。
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