僕の45年間ー712011/01/31 21:10

 こけし女史は「しばらくはなかなかアルバイトは無いよ。3月か4月になって少し温かくなりはじめたらレストランやキャフェで皿洗いのアルバイトを雇うと思うよ」と状況を説明してくれました。彼女は月~金は街の中華レストランで調理の補助的な仕事をし、週末はユースホステルの調理場で働いているということでした。

 僕は女性の一人旅は怖くないですかと聞いたら「私ね、空手2段なの。大抵の男だったら大丈夫」と笑っていました。
「私ね、ボンベイからバスやヒッチハイクで北上して来たの。時々変な男にも会ったけれど大丈夫だったよ。ナイフを持っているような男だったらひたすら走って逃げるけれど、そうでなかったら大丈夫」と誇らしげでした。
 歳は僕の10歳くらい先輩のようでした。僕はすごい人も居るんだな、と思いながら尊敬してしまいました。

 こけしさんは、地下に洗濯場があることを教えてくれました。洗濯機を使えば少しお金が掛かるけれど手洗いならただだよということでした。僕は日本を出発して以来、はきっぱなしだったよれよれのズボンを洗濯したいと思い早速地下へ降りてみました。粉石けんは手持ちのがあったので大きなタライに湯を入れて、はいているズボンを脱いでごしごしと洗い始めました。お湯はすぐにグレーになり、またたく間に真っ黒になりました。こりゃひどいと思いながら3度お湯を変えて洗剤で洗いました。固く絞って暖房用のラジエーターにかぶせるようにして干しました。サッパリしたものの僕は着替えのズボンを持っていませんでした。下着のパンツで歩き回ることは出来ないのでず~っと地下にいるはめになりました。幸い大変熱いスチームが流れていたらしく3時間ぐらいでほぼ乾きました。ズボンも気分も軽やかになりました。しっかりしたアルバイトが見つかったら着替えのズボンを買おうと思いました。

写真はパリ北駅構内のチョコレート屋さん。2004年12月。

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