猫ひろしさんの記事 ― 2012/08/12 19:25
無宗教?無党派? ― 2012/08/13 23:44
「今、行き詰まりを見せる日本社会で、私たちは何を学ぶべきでしょう。私の答えは『宗教』と『政治』です。」続けて、学生に信仰について尋ねると「無宗教」だと答え、それは「無神論」か、と問うと答えられないと述べています。同様に「支持する政党は」と聞くと「無党派」と答えるそうです。
僕はこの記事を読みながら学生だけに限らず大人社会においてもまじめに宗教と政治について語ることはめったに無いなと思いました。
1960年代半ばに横浜からマルセイユまで一ヶ月間、船に乗っていたことを以前に書きました。そのときに二十歳の僕が船上の日本人の大人たちに繰り返しいい含められたことがありました。それは「外国で政治と宗教のことは話題にするな」ということでした。大人は皆、異口同音に「話が荒れたら手がつけられなくなるからな」とも付け加えていました。僕は、そんなものなのかなと思いました。しかし、イギリスで言葉に慣れはじめると周囲の人々は大人も学生もこの2つの話題について始終話していることに気付きました。僕も度々議論に加わりました。
以来、意見の違いがあってもそれを受け入れ、互いの考え方を知り、尊敬の念を深めるにはこれらの話題を避けることはできないという思いを強くしています。
自分のことを「無宗教」「無党派」と言うのは、宗教にも政治にも「無関心」を標榜していることであり、他人と関わることを避けているように思えるのです。日本人同士のみならず外国の人々とも互いにもっと深く知り合う為には、当たり障りの無い「美味い食物」や「美味いレストラン」の話から脱却し、避けるべき話題などは無いと考えるべきだと思うのです。
写真は7月下旬の狸小路
ロンドンオリンピック ― 2012/08/14 21:25
写真を撮っている者としてやはり一番の関心ごとは掲載される写真です。僕は毎日新しい新聞を開くたびに一枚一枚の決定的瞬間に感動をしました。僕は朝日新聞しかみていませんがどの新聞にも傑作写真が掲載されたのではないかと思います。その根拠は写真記者の技量はさておいて、写真機材の進化が急速に進んでいることです。
フィルム時代のスポーツを撮影する速写や連写能力と、今のデジタルカメラのそれとは雲泥の差があります。デジタルカメラは一回シャッターを押すと何十枚も一気に撮れます。合わせて、フィルムの入れ替え作業もありませんから撮り逃がしもめったにありません。フィルム時代の一瞬を捕らえる職人業は以前ほど要求されなくなったのではないでしょうか。そんなことで読者は多くの傑作を楽しむことができたのではないかと思います。
このデジタルカメラの進歩は、街撮りやポートレートを撮る僕にとっても大いに役立っています。僕が初めて自動的に焦点を合わせる機能とその速さを体験したときはただもうびっくりしました。僕の知っているカメラでは自分で焦点を合わせることが普通でしたから。また、マッチ一本の明るさでも撮れるフィルムの感度に相当するセンサーの性能の向上には驚愕してしまいます。加えて、昔はシャッターチャンスよりもフィルムの残り枚数を気にしていましたが、今はそんなことはなくバシャ、バシャとシャッターを押せるのは気分が爽快です。
カメラメーカーの両雄であるニコンとキヤノンはオリンピックの中間で記者発表をしています。曰く「ロンドンオリンピックでは当社の機材が一番多く使われた」。
写真は6階の拙宅から。
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