新聞記事―原発はいつの日か2012/09/10 21:03

  しばらくご無沙汰していました。皆さん、お変わりなくこの夏を過ごされていらっしゃいますか。
このサイトを「今日も更新無しかな!」と思いながら訪れてくださっている方々にお詫び申し上げます。また、ぼちぼち書こうかなと思っています。どうぞ宜しく。

 朝日新聞夕刊 に「ニッポン人脈記」という調査記事が連載されています。朝日新聞の読者の方々は無論、お読みになっているとは思います。が、気になるのでここに紹介をさせていただきます。
 2010年9月5日付の記事の最後の段落に詩が紹介されていました。作者は、原発反対運動に携わり1987年に54歳で亡くなった教員、吉田信(よしだまこと)さんが残した詩です。(記者:大久保真紀)

題:あなたたちの世代は何をしたのですか

 原発はいつの日か
 必ず人間に牙をむく
 この猛獣を
 曇りない視線で看視するのが私たちだ
 この怪物を絶えず否定するところに
 私たちがそれを怠れば
 いつか孫たちが問うだろう
 「あなたたちの世代は何をしたのですか」と

 札幌は久しぶりの雨です。まだ、涼しくなったとまでは言えませんがひと雨ごとに秋が近づき、あっという間に白いものがちらつき始めるのかなと想像をさせる時季になりました。

新聞記事―野田佳彦氏が政治生命を2012/09/11 21:23

 朝日新聞夕刊2012年9月4日の文化面に「終わりと始まり=池澤夏樹=」というエッセイがあります。機会がありましたら全文をお読みいただければ一番良いのですが。後半にこんな文章があります。

「野田佳彦氏が政治生命を縣けると仰っても聞く側はしらけるばかり。あなたの政治生命はあなた一人の問題であって国の問題ではない。」

 ごくまれには代替がきかない人材というか、稀有な才能の持ち主がいるかもしれませんが僕のこれまでの人生では目撃をしたことがありません。大方の職業や地位において代替は可能のように思います。このことは池澤夏樹氏のお書きになっている通りで、僕は内閣総理大臣である野田氏に限ったことではなく、大手企業の社長さんから一般社員に至るまで同様だと思います。
 大坂忠がベテル英語センターを廃業しましたと言っても「それで?」という程度のコメントさえ無いであろうことは、この僕にも分かります。
それにもかかわらず、新聞報道からTVキャスターまで「私は政治生命を縣けて・・」というくだりを国民が食傷気味になっているのに繰り返し報道し続けています。
 「・・・あなた一人の問題であって国の問題ではない。」の正反対に、報道関係の識者には「国の問題」を語って欲しいと思う近頃です。

(念の為に・・僕は日本の内閣総理大臣が政局絡みでコロコロで変わるのは良いとは思っていません。)

 夕方、すすき野で買い物を済ませて外に出たらいきなりの土砂降り。まだ気温が高めなせいか慌てる通行人はあまりいませんでした。

新聞記事―手が届く宇宙22012/09/12 21:47

  朝日新聞朝刊9月11日の「オピニオン」のページの最下段に「夢を現実にするのが技術者魂」という記事が載っています。大林組の石川洋二さんへのインタビュー記事です。(聞き手:太田啓之)
 「私たちは今年2月、ロケットを使わなくても宇宙に行ける高さ9万6千キロの宇宙エレベーターを、2050年に実用化する構想を発表しました。東京スカイツリーの15万倍の高さです。」
 
 このことを初めて知ったのは僕がお世話になっている額縁屋さん、ラボ・フューズのブログででした。その後、TVで宇宙エレベーター開発をしている世界の大学のコンテストのドキュメンタリーを観て、なるほどと、具体的なイメージが湧き感動を覚えました。
 今日は一日遅れで11日の記事を読んだ後にラボ・フューズのブログを見たら再度、紹介記事が載っていました。

 2050年ということは・・と自分の歳をうっかり計算してしまったのですが、僕が生きているわけがありません。しかし、その想像力と創造力への感動は変わりありません。
 2000年に生まれた人はまだ50歳ですから可能性が十分あります。つまり、今12歳の子供は宇宙へエレベーターに乗って「ちょっと宇宙へ出張です」と言っているかもしれないのです。

 「小学生相手に講演をすると『宇宙の仕事をやりたい。大林組に入ればいいのか』という質問が結構ある。」とも語っています。僕はこれを読んで同じように「原子力発電の仕事をやりたい」という小学生はいるのかなとも思ってしまいます。

社団法人宇宙エレベーター協会
http://www.jsea.jp/
はるなつあきふゆ 額縁日和(ラボ・フューズ)
宇宙エレベーター [日々雑感]
http://www.labofyus.com/blog.html
軌道エレベーターポケットブック for iPhone 発売中
http://www.jsea.jp/node/1128

 写真は今夕のすすき野交差点。

街頭献血活動2012/09/13 21:54

 今日、僕は毎年恒例の街頭献血活動に参加しました。札幌の日赤にお願いをして、献血車をあるオフィスビル前に配置してもらいました。毎年同じビル前で行っていますから館内放送をしていただいて献血を呼びかけてもらいます。それに加えて、主催者の僕らが街頭で「献血をお願いしま~す」と言いながら日赤提供のポッケットティッシューを配るのです。
 今年で9年目になりますが毎回共通した経験がいくつかあります。若い人ほど「怖い!」といって尻込みをすることがその一つです。それは当然注射の経験があまりないでしょうから致し方がないことだと思います。しかし、その分、病気をしていないのですから良質の血液?だと思うのですが・・、残念なことです。反応は経験的に分かっていますが僕は啓蒙運動も兼ねていると思い声がけをします。
 一緒に活動していた他の人が二人の女子高校生にポッケットティッシューを渡しました。背の高い人と低い人でした。案の定、まっすぐの大通公園をスタスタと歩き人ごみの中に消えました。が、しばらくして突然に僕の前に現れて「あの~」と。僕は歳を確認して受付をしてもらいました。献血が終わったあとの彼女らは大変さわやかな笑顔をしていました。僕は良かったなと思いました。少しお話をしました。ポッケットティッシューを受け取ったあと、道中二人で話し合って戻ってきたこと、献血は初めてであることなど。僕は彼女らの勇気に大いに感謝しました。そして、これから学校に行くというのでたくさんのポッケットティッシューを渡し、教室で「献血ってたいしたことないっ!」と宣伝をしてくれるようにお願いをしました。僕は、この若いふたりは生涯、機会があるたびに献血をしてくれるような気がしました。

今日の活動のメモ
開始10時
終了 5時
配ったポッケットティッシュー 1000個
街頭献血者数 23名
ビル内献血者数 37名

新聞記事―映画フィルム、~幕2012/09/15 23:57

 朝日新聞朝刊2012.9.13によると富士フィルムは来春をめどに映画撮影用、映写用のフィルムの生産を停止するようです。
 以前から時間の問題だろうと言われていましたがその時がついに来た、という感じがします。
 高校生だった50年前、僕は小遣いで何本のフィルムを買えるか、といつも悩んでいました。

 僕の67年間の人生の間だけでも色々な物が出現し、時代とともに淘汰され消えてゆきました。黒電話もなくなり、携帯電話が出現しました。映画フィルムもついにその中の一つになってしまいそうです。
 
 僕が初めてデジタルカメラを使ったのは2000年だったと思います。当時、関わっていたNPO法人の活動資金を創るためにラーメン屋さんを地下鉄18丁目駅地下で運営していました。そのHPやチラシに写真を載せるために大枚5万円も出して買ったのが始まりです。名刺の半分位までのサイズが限度という、おもちゃのようなカメラでした。なぜか富士フィルム社製でした。
 入居していたビルの建て替え話しが出てラーメン屋さんはじきに廃業をしました。それ以来、カメラに触っていませんでしたが60歳になった2005年だったと思います。Canon10Dというデジタルカメラを中古で買い、写真を再開したのです。既にフィルムカメラを淘汰する兆しがありました。何より僕にとっての一番の利点は暗室を必要としないということでした。

 僕の手元には十数本の映画のビデオテープがあり、ビデオプレーヤーもあります。以前にも書いた、身の回りの物を処分する過程で百本以上の映画のビデオテープを廃棄しました。残りをいつ廃棄処分にするか悩んでいます。しかし、その前に、もしかしたらせっかく集めたDVDも終焉の時が来てしまうかもしれません。その時がきたら新しいものを使いこなす頭はとうに??となっているかもしれません。

 写真は2000年当時、ラーメン屋さんのHPに「あ~ア、美味しかった」というタイトルで載せたのです。

映画―「最強のふたり」2012/09/16 22:31

  久しぶりに妻と映画館へ出かけました。

 この映画は、実在する人物である Philippe Pozzo di Borgo フィリップ(フランソワ・クリュゼ)自身が書いて出版をした本を素に制作された作品です。話は本人と介護人 Abdel Yasmin Sellouマガリ(オドレイ・フルーロ)との間のさまざまなやり取りやそれから派生する出来事をユーモア豊かに、人生賛歌の作品として仕上げています。
 http://saikyo-2.gaga.ne.jp/

 フランス語の原題はIntouchablesで、英語では多分untouchableアンタッチャブルだろうと思います。英語から想像するに手がつけられないほど二人の人間関係か友情が「最強」なのか、または、介護人の出身が、犯罪歴があるuntouchable最下層民(インドのヒンドゥ教では)に由縁するのかはわかりません。

 話は富豪の下半身不随の雇い人が自分の介護する人を雇おうとする面接の場面から始まります。

 人間関係には、たとえそれが夫婦や親子であってもいろいろな遠慮というか「言うべきでない」ことがあろうかと思います。それが余計な誤解を生み、関係がより複雑になることが分かっていても、何故か制御らしきものが働いてしまいます。しかし、マガリはそんなことに一切頓着なくズバズバと話し、行動をします。受手の富豪で身障者であるフィリップはこれまでの介護人のようにオドオドしないマガリの接し方に快感を覚えます。
 
 僕が思うフランス映画の味付けとは少し異なる印象がありました。ハリウッド映画の要素が取り込まれているような気さえしました。と思ってチラシを読んでいたら「ハリウッドでリメイク決定!」となっていました。
 
 気になるのは、ハリウッド映画では二人の女性秘書役をどのように描くのかです。つまり、少なくても彼女たちの存在がこの作品をフランス映画ラシクしていると思うのですが、ハリウッド作品ではどんな風に仕上がるかなと興味が湧きます。

 妻と話しました。DVDが出たらもう一度観たいネ、と。
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