白浜さんの無罪 ― 2010/12/11 04:18
判決後の白浜さんや裁判官、被害者の遺族の言葉に、「真実を求め、真実を明らかにする」という姿勢を感じないのです。
有罪、無罪は真実がわかって後のことであり、被害者やその遺族の言葉を追うと白浜さんを犯人にしてほしかったように聞こえるのです。
僕は裁判とは、検察、弁護人、裁判官が共同で事件の「真実」を突き止め、それに基づいて刑が言い渡されるものでなければならないと思うのです。真実を見極める姿勢なくして裁判をするのは、単純な犯人探し以外の何ものでもなく冤罪を生む土壌であると思うのです。
また、有罪と無罪という言葉の間にはnot guilty(有罪にあらず)があるのです。日本語にはこの表現が欠落しているように思います。全てが白か黒ではなく灰色もあるのです。そして、この灰色の結論には「疑わしは罰せず」の原則が適用されなければならないのです。
捜査当局は裁判官が指摘した証拠のいくつかの真偽性を証明できませんでした。その結果が無罪not guiltyを導きました。僕のような素人が考えても「証拠の捏造」をし、「検察の事前のストーリーに強引に合わせ」るという、やってはならないことを実行したのではないかと思ってしまします。
先日の郵便不正事件の村木元局長の場合と同じに証拠を捏造した係官がいたなら、そのことの真実も明らかにされなければ信頼できる司法制度を確立することは出来ないように思います。
写真は大通りで。僕は後姿を追い、身なりを観察し、どんな人生を送っているご婦人なのかなと思いをめぐらしました。
この方は一丁ほど先のキャフェに、慣れた雰囲気でドアを開けて吸い込まれてゆきました。多分「いつもを」と言って注文をしたのではないかと通り過ぎながら僕は思いました。大変寒い夜でしたから勝手に安堵しました。
ニューヨークからー1 ― 2010/12/17 13:43
ニューヨークからー2 ― 2010/12/18 13:07
落ち合った場所は韓国レストランでした。12時5分には何とか着いてほっとしました。
その方はNYで賃貸と売買の不動産の仕事についておられるということで、バブルの時代とは異なり日本の銀行や商社関係の方々はめっきり少なくなりましたとお話しをしていました。
昼食の後はホテルで一休みをして、再度、出陣しました。とにかく歩け歩けと自分に言い聞かせて血糖値の管理?兼、枚数を撮らなければとあっちこっちでパチリパチリとやっています。
写真は映画などでもおなじみのNYPDニューヨーク・ポリス・デパートメントの警察官です。週5日、連日11時間の街頭警備の仕事だそうです。いわく、寒くてやっていられないヨ!!
ニューヨークからー3 ― 2010/12/19 13:46
ホテルの前に東京駅のようなPenn駅があります。その地下にはいわゆる駅地下があり、路上パフォーマーも含めて大変楽しいところです。飲食店がたくさんありますので食事をしたりもできます。
もう一つ大きな駅があります。グランドセントラルといいます。徒歩で15分ぐらいの距離です。今日はその駅から3~40分郊外へ電車の旅をしました。NYの喧騒はじきにうそのようになくなり、静寂に包まれた郊外の住宅地域の様相を呈していました。医学生のときにべテルに来、今はNYで勤務医をしている方のお宅に招かれてのお出かけでした。その方ももう2児の母親で、どんどん時間が過ぎてゆくことを実感しました。
南川氏のブログに物忘れのことが書かれています。限りなく同感しています。
写真は午前中の雑踏です。
ニューヨークからー4 ― 2010/12/20 14:08
http://newyork.keizai.biz/headline/271/
約1時間半、一時の息抜きもできないくらい次から次へとNYの中心街を移動しながら楽しませてくれます。難点は言語が英語だけという事でしょうか。しかし、細かな説明は無視しても、このバスの乗客と通行人風に見える路上パフォーマー(随所に待機していてそれとなく視界に入り、様々なパフォーマンスを演じてくれる)とのワイヤレスマイクロフォンを使ってのやり取りは絶妙です。通行人も巻き込んでダンスをしたり歴史上の人物を演じたり、有名な映画や舞台のせりふを言ったりと大変巧妙に構成されたエンターテイメントと観光バスを一体化したものです。お一人さま65ドルでした。
写真は「The Ride」のアンケート調査をやっていた青年です。時代の変化なのでしょうかiPadをたくみに使っての調査でした。
ニューヨークからー5 ― 2010/12/21 13:55
GOと表示されるとバーが回転しプラットフォーム内に入ることができます。僕はいつも1度目で成功します。しかし、妻は2度3度やってもGOが出ず、プラットフォームに入場できません。昨晩は切符を新規に買って試みもしましたが成功せず、途方にくれました。僕はプラットフォームにすでに入っていますが妻は入場できずにいました。プラットフォームから出るのは切符を必要としませんから僕はいったん出て妻の切符で試みました。うまくできません。
通常はバーがあるところを通過して場外に出ます。しかし、込み合っているときには隣に設置されている非常の鉄格子のドアをプラットフォーム側から大きく開けて乗客は出て場外に出るということを観察で学習していました。
どうしようかと思いあぐねていると小柄な黒人の青年が問題なく入場しました。僕は大きな声を出して、I say. Can you help us?と言いました。事情を話すと彼は大きくうなずいてプラットフォーム側から非常口を開けて、Come through hereと手招きをしてくれました。我々は、これこそNYスタイルだと感心しながら大事件から救われた気分でした。
そんなことで今日も妻の切符は駄々をこねました。幸い切符売りの駅員がいましたのでその旨を言いますとい面倒な客が来たなという嫌そうな顔をしながら上着を手にもって出てきました。2~3回妻の切符を試みて「Be patient!!忍耐を持って!」といって立ち去りました。しかし、またもや僕は場内、妻は場外という有様でした。僕は致し方なく例の奥の手というかNYスタイルで非情口を開けて妻を救いました。
写真について
中華街にはまだ古い建築が残っている風でした。僕にとっての外の非常階段はウエストサイドストーリーから始まって刑事もののTVドラマなどで犯人が窓をこじ開けて、非常階段から逃亡するというある意味で懐かしさを感じさせるものです。
「犯人は中華街に潜んでいるようだ。厄介だぞ。チャン刑事を呼んでこい。我々の手には負えないぞ。」という雰囲気は全くありませんでした。
ニューヨークからー6 ― 2010/12/22 12:17
何本もの電車を見送ることもしばしばあります。
電車がホームに入ってくるまで鉄路をじっと見つめる人、
小さな子供に「危ないよ!」といっている母親、
乗り込んで何故かキョロキョロする人、
降りて足早に出口へ向かう人
ゆっくりゆっくり自分の出口を確認して歩き出す人など様々です。
時どき、強い衝動に駆られることがあります。
同じ電車に乗り込んで、
あるいは同じ出口から外へ出て、
そうっと後をつけて行ったら
その人の人生を覗き見ることができるのではないかと。
その人がポケットからドアの鍵を取り出し、家の中へ入るとき
その家の中の様子を垣間見ることができるかもしれないと。
今日は地下鉄でユニオン・スクエアーへ行き、マーケットを見てきました。幸い天気がよく楽しい日でした。絵や写真を販売している小屋もありました。著名な作家の作品ではなくても好きならいい、楽しめればいいという感覚であろうかと思います。また、それなりの壁があれば飾りたくなるだろうなとも思いました。
ニューヨークからー7 ― 2010/12/23 13:02
そんな中で接した、多分そうだろう思える数値に、NYで日々話されている言語数は170言語以上だというのがあります。世界の言語の何割くらいに当たるのか分かりません。しかし、言い換えればそれだけの数の文化や物差しがナマの形で、ここNYの毎日の生活を形成している、そのエネルギーに僕は感動するのです。
一旅行者としての体験に過ぎませんが、レストランや売店などで働いている多くは移民です。そして、英語という、彼らにとって縁もゆかりもないだろう英国で大昔に生まれた言葉に四苦八苦しながらも間違いなく力強く生きているように見受けられます。
今日は地下鉄に乗ってセントラル・パークまで行きました。公園内の池は真っ白に凍っていました。
写真はセントラル・パークへ行く際の59St. Columbus Circleという最寄の地下鉄駅内で撮りました。
ニューヨークからー8 ― 2010/12/24 13:58
どこへ旅行しても同じなのですが、初日は滞在ホテルの周辺を散策し、食事をするところの目鼻をつけ、少し地理的状況を把握して終ってしまいます。
翌日には徒歩での行動半径を広げて、多少の冒険をして地図上の見学箇所を目指したりします。途中で、警察官に道を尋ねる真似ごとをしたり、店員に明日の天気を尋ねたりと地元の人々と交流?を図ります。
3日目4日目になると自信を持ち始めて行動範囲は大幅に広がります。おっかなびっくりですが電車や地下鉄に乗って目的の見学場所や公園や友人の家を訪ねたりします。地下鉄や電車を利用するのに多少の怖さがあるのはひったくりが多いからです。車内で数人の大きな男に囲まれると恐怖で「ヘルプ」という声すら出なくなりますから。
僕たちはあまり旅行日程を具体的に計画しない方です。出発前に漠然とした知識を仕入れますが、あとは行き当たりばったりです。
あれもこれもしてや、あれも見て、これも見てという「忙しい」旅行は性に合いません。どちらかというとキャフェに腰を下ろしてぼんやりと通行人を眺めているのが好きです。
そんな我々も残りの日数が少なくなってくると、少し気持ちが落ち着かなくなります。妻は「また来れないかも知れないから、○○へ行ってみようかとか、○○を見ておこうか」と言い出します。じゃ、と、重い腰を上げて観光バスの予約をしたりします。
今日は夕方になって明日はクリスマスイヴと気がつき、何かを「やる」ことになりました。パンフレットを学習し、夕飯とジャズ鑑賞というツアーを見つけ、早速に電話しました。幸い予約が取れました。我々にとっては今までにない画期的な企画となりそうです。
写真は今晩の食事です。〆て23ドルでした。2~30種類の熱々の料理やデザートから好きなのをとって、合計の重さで清算をします。中華や無国籍などがあります。ここは妻のお気に入りのイタリアンです。小さなワインを含んでの値段です。何を食べたか?忘れました。写真からご想像ください。
ニューヨークからー9 ― 2010/12/25 14:07
僕たちは遅めのベーグルのトーストで朝食、彼女はコーヒーをいうことでホテル内のレストランでおしゃべりをすることができました。
その人はハーレムに住んでいるということで「全然、問題はありませんよ!夕べもオペラを観て11時過ぎに帰ったけれど、何にもありませんでしたよ」という話を聞いたのでです。
地図でどの駅へ向けて行くべきかを確認して、ホテルの隣にあるペン駅から地下鉄に乗り込みました。10分くらいも乗ったところで反対方向の電車に乗っていることに気づきました。しかし、所詮は旅行者です。あわてることは何もありません。僕らの席の反対側に座っていた若い黒人女性に尋ね、確認をして次の駅で乗り換えました。
ご存知かと思いますがNYの地下鉄料金は一律で2ドル25セントです。いくら乗っても乗り換えても同じです。なおさら、あわてることはないのです。
30分ほどで目的の125ストリートという駅に着きました。地上に出るまではやはり緊張しました。出口の方角を見ると階段に外からの陽が差し込んでいるのが見えました。太陽光の不思議な働きです。陽が差し込んでいるのを見ると安心感が沸いてきました。
地上にでると真っ青な空が広がっていました。いつものように迷子にならないために出口の十字路にある建物を妻と確認をしました。ホテルのあるマンハッタン地区とは異なり高層ビルが空から降ってくるような感じはなく、高くても15階建てくらいのように思えました。
雰囲気はごく普通の「街」という風で、土産物屋が軒をなしていることはなく、旅行者を見かけまることはありませんでした。うわべだけを見ている、通りすがりの旅行者の目には普通に生活観がある平和な地域に見えました。無論、主な住人は黒人ですから目が慣れていなければ別な印象を受けたかもしれません。しかし、パトロールカーや警察官の数はマンハッタン地区で見かけるようにどこにでもいる風ではありませんでした。
写真はハーレムの戦前に建てられた、タウンハウスと呼ばれている住居の階段のクリスマス飾りです。写真には写っていませんがこの階段の左には古いバスタブがあり、土が入っていて大型植木鉢と化していました。
最近のコメント