民主主義とは勇気をもって妥協すること2018/12/17 19:18

 画像はTwitter  @camomille0206 さんからの転用です。聞き手 ・ 市川美亜子と書かれています。この記者は朝日新聞の記者のようです。記事が掲載された日付は定かではありません。

 僕は、安倍政権の在り方は民主主義なり議会主義を具現していないと思っています。

 ジュンク堂書店難波店長の福嶋 聡紙は『 高みの観客席から眺めているだけだ。 民主主義社会の主権者がアリーナに立たないのは不誠実だし、「中立」 を正義とする社会は、意見を持つことそのものを攻撃することになってしまう。』と語っています。

 国民一人ひとりが意見を言うことこそ民主主義社会を実現する要因なのです。

 『作家の高橋源 一 郎さんは、民主主義を 「異なつた意見や感覚、習慣を持つた人たちが、一 つの場所で 一 緒にやっていくためのシステム」 と定義している。 』
 
 高橋源一氏は「異なつた意見や感覚、習慣を持つた人たちが、一 つの場所で 一 緒にやっていくためのシステム」 と言っていますがここでいう「やっていく」は具体的に言えば、互いに譲歩し妥協点を見出すことであると、僕は考えています。
国会で多数決を武器として、野党との話し合いも十分にせず法案を通すのは議会主義ではなく、独裁政権です。

 また、『意見を表明しようと思ったら、 無傷ではいられない。 出版や報道に関わるとき、その覚悟は不可欠だと思う。』と言っています。

 同様に家族や友人知人に対しても自分の意見を伝えようとするなら、覚悟が必要であると思います。意見の違いが分かった後の人間関係は、是々非々でなければ単に人間関係の破壊に終わります。

 「compromise妥協する」は議会主義発祥の地である英国の言葉です。その真意は、自分の主張が100%盛り込まれてはいなが、相手も同様である。つまり互いに、近頃のはやりの表現を使うなら、win-win(自分も相手も得るものがある)なのです。
 日本語の「妥協する」には「自分が何かを失う」の意味が強いと思うのですが英語では「互いに得る」なのです。

 僕が英国いたのは60年代後半から70年代初めのことです。BBCの国会中継を観ながら、妥結後に政敵同士がタガイに「I appreciate your courage to compromise. 私は妥協するあなたの勇気に感謝します。」と言っているのを何度も聞きました。
 
 僕は「民主主義/議会主義=勇気をもって妥協する」
と理解しています。

 蛇足
 compromiseのcomはラテン語の「cum」が語源で、「一緒に」や「共に」という意味を含んでいるようです。

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コメント

_ ぷろこるはるむ ― 2018/12/18 23:18

私の本籍地は山口県です。安倍首相と同じ長州人です。幕末、薩長官軍は東北地方、とりわけ会津の人々に悪の限りを尽くしました。長州人を生理的に嫌悪する人が世の中に一定数存在することも知っています。西南戦争は西郷隆盛にしてみれば、会津人に対しての贖罪の意味合いがあったと聞いています。他方、長州人は何の反省もないまま、自分たちだけのための明治日本を作り上げてしまいました。自らを過信した植民地政策がやがて、大東亜戦争の遠因となります。日本民族を破滅寸前まで追いやったのは長州人でしょう。安倍政権が描く理想は、岸信介以来の彼ら一族の宿願であり、周囲の諌言もまったく耳に入らないようです。
私はいつか福島を訪れたいと思っているのですが、なかなか勇気が出ません。

_ 大坂忠 ― 2018/12/19 10:12

プロコルハルムさん、投稿をありがとうございます。〜長州人〜などのお話しはやはり本州ならのことですね。北海道の歴史はある意味淡白ですね。
僕は福島の南相馬町周辺を見たことがあります。今は黒い汚染土砂を入れた袋が方々に見られるようですネ。汚染は安倍首相がいう「アンダーコントロール」から極めて遠いということは明白だと思っています。

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