昭和20年の敗戦は2018/08/26 11:41

 北海道開拓の村については何度か書いたことがあります。移築された建築物の中には学校などの教育機関だったのも含まれています。写真はそんな建築の内部展示の中に見つけたものです。

 1945年、昭和20年生まれの僕が小学校に入学したのは1952年、昭和27年4月です。したがって、戦争が終わって7年経っていたことになります。家の庭には分厚いコンクリートでできた防空壕が残っていて、家庭菜園の道具置き場になっていました。
  
 多くの教師は民主主義のもとでの新しい教育に様々な苦労をしたことは良く知られています。教職を離れた人々も多くいたようです。
 僕の合浦小学校5年と6年のときの担任だった丸山達先生は50歳代で退職をし、世界の旅に出たと後年聞きました。先生の目的は、ご自分が児童に教えた地理のことや外国の政治形態が正しかったのかを確認するためであったということでした。
 僕は、スエズ運河は丸山達先生に教わった通りでしたと話しました。すると先生は「うん、うん。私も確かめて、安心した」とおっしゃっていました。

 僕は、安倍政権はこの写真に書かれていることを今一度再確認してほしいと思っています。

「ーーー昭和20年の敗戦は、そうした戦争教育が誤りであったことを明らかにした。そして、新生日本のもとで、平和・民主主義にもとづく教育が始まった」

「ーーー教育の自主運営のため、一般行政から独立した教育委員会が誕生したほか、教師の組合活動も活発となっていった」

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