人間は特別な生き物なのでしょうか?2018/08/17 14:20

 朝日新聞2018.8.17 朝刊26面「文化文芸」に大変興味深い記事が載っていました。記事の一部を載せます。
答えているのは京都大学高等研究院特別教授 松沢哲郎氏です。

僕はこの記事を読んで考えました。
 その1、猿人が石器を使い始めたのが大体200万年前ということからすれば、現在の世界情勢や日本の現政権をあれやこれや心配するのは杞憂なのかもしれない。

 その2、「想像する力が人間とチンパンジーを隔てるものです」ということは、うらみ、つらみ、ねたみ、そねみ、いやみ、ひがみ、やっかみなどをも200万年以上も想像し続け、今も止むことがない。

 その3、「『分かち合う心』を持つように人間は進化してきた」というのは大きな救いなのですが、反社会的な悪事をも分かち合う人々がいるのには閉口します。

 その4、「心に愛を持つように進化してきた人間はずっと続いていくんです」という言葉に安堵を覚えるのです。願わくば世の為政者には次世代や次々世代の人々への愛をこれまで以上に想像して具現化してほしいものです。

――人間は特別な生き物なのでしょうか?

 「特別だと思いたがるんじゃないですかね。今生きているものはみんな約38億年の命をつないできたんです。どの生き物も特別ということが分かっていれば、人間も特別なんですよ」

 「私はチンパンジーも『1人、2人』と数えます。ヒト科だから。ゴリラ、オランウータンも含め、ヒト科は4属だと心に深く留めて下さい」

 ――コミュニケーションこそが人間らしさなのでしょうか。

 「コミュニケーションには、共感力や相手の心を理解することが必要です。『分かち合う心』を持つように人間は進化してきた。食卓にイチゴを盛った皿があるとしましょう。イチゴを口に入れてもらった子どもは、『はい、お母さんも』『お父さんも』と、犬のぬいぐるみの口にまで入れようとするでしょう。『私があなたに、あなたが私に』という互恵的な利他性が成長していった。これこそが人間らしさだと思います」

 ――チンパンジーに互恵的な利他性はないのでしょうか。

 「互恵性は基本的にはないですね。」

 ■希望持てる想像力にも

 ――他に、チンパンジーと人間で違う点はありますか。

 「チンパンジーと比べて顕著に違うのは、人間には想像力の負の側面として嫉妬やねたみがあることです。理想の自分をつくり、現実の自分とのギャップでコンプレックスも生まれる。チンパンジーにはそういった感情はありません。想像する力が人間とチンパンジーを隔てるものです」

 ――人間の未来が不安です。

 「安心して下さい。思いやる、慈しむ、分かち合うことで、人間という集団は生き残ってきた。心に愛を持つように進化してきた人間はずっと続いていくんです。たとえどんなに状況が悲惨でも、未来に希望を持てる知性があるのが人間じゃないでしょうか」(聞き手・湊彬子)

コメント

_ rubyring ― 2018/08/17 15:40

生きものは、子孫を残すことだけが事実であって、善悪ではないですね。助けあうことが生存に有利なら助けあい、不利なら助けあわない。そして、利己性が利他性よりも勝っていないと生き残れない。人間は言葉を得て、抽象概念を作り出すことで上記のような事実よりも言葉の作り出した空想を生きるようになってしまっています。特に、文明社会では宗教や学問がそれを余計に酷くしてしまいました。文字を持たず、国を持たない社会での人の生き方を知ると、文明社会は、支配者たちの利己性が言葉の力(技術力、伝達力、抽象概念の創作)を利用して生み出した利己性の産物であることが見えてきます。松沢氏も、支配者たちが作った幻想に犯されています。生物は利己的なものだと思います。

_ 大坂忠 ― 2018/08/18 10:43

rubyringさん、投稿をありがとうございます。僕にとっては大変刺激的な投稿でした。何かを覚醒させられたような気さえしています。

 松沢哲郎氏の「心に愛を持つように進化してきた人間はずっと続いていく」に対して「生物は利己的なもの」と理解をすると、もしかしたら人間の「愛」も生物の利己性による支配のなせる業かなとも思ってみました。

 頂いた投稿を下記のように少し単純化をしてみました。これからも折に触れて考えを深める試みをしたいと思います。

1、生物の本来目的⇒子孫を残すこと⇒善悪ではない
2、生き残る要件⇒利己性が利他性よりも勝っていること
3、人間は言葉を得て⇒抽象概念を作り出し⇒空想を生きるようになった⇒宗教や学問が作り出された
4、利己性の強い者⇒技術力、伝達力、抽象概念の創作⇒社会の支配者

_ 中村新太郎 ― 2018/08/31 19:16

ご無沙汰しております。いつも楽しく拝見しています。 さて、京都大学総長山極寿一さんの本を読めば少しは理解が深まるのではないでしょうか。 人間は共感性を手に入れて、他人の中に自分を見るようになり、他者の目で自分を定義するようになった。 この言葉で、私はスランプを脱出することが出来ました。

_ 大坂忠 ― 2018/09/01 19:34

中村様 こちらこそご無沙汰しています。投稿をありがとうございます。WEBで山極寿一氏の記事を少しみてみました。

『ゴリラからの警告』
「〈信頼関係を築くため〉の、もっとも〈人間的〉であったはずの<人間は集まっていっしょに食べようとする〉>行為を、いま私たちは、食事時間を短縮したり、個食を増加させたりして手放しつつある。〈現代の私たちはサルの社会に似た閉鎖的な個人主義社会をつくろうとしているように見えるのだ〉。」

僕は積読が多くなりがちなこの頃ですが、氏のお名前を記憶しておきたいと思います。

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