初めての経験 ― 2015/10/03 20:45
今日は民主党の岡田代表が札幌駅前で演説をするというので妻と一緒に出掛けました。11時半からというので一時間ほど前に家を出てぶらぶらと札幌駅のほうへ歩きました。30分ほどで日本生命ビルに着きました。聴衆は誰もいませんでしたが、すでに警察官がバリケードを作り、交通整理をしていました。
30分ほど余裕があったので日本生命ビルでお茶を飲もうということになりました。いつもは地階のコーヒー屋さんを利用するのですが妻の提案で一階ある「デゴバGODIVA」に入ることにしました。
僕がこの名称を知ったのは「グッバイ艶=南川泰三著=」でした。小説そのものは1970年代を舞台にした私小説です。
艶さんという女性との壮絶な結婚生活が赤裸々に描かれています。その中で艶さんが体調を崩して寝込んだ時に夫が外出帰りの土産に買って帰ったのがデゴバGODIVAのチョコレートでした。僕はそれがウイーンの産物であることすら知らなかったのですが、僕の妻は知っていました。「へ~、この時代に、東京にはデゴバGODIVAがもうあったんだ。やはりね。それにしても艶さんの好物がデゴバGODIVAとはね」とやたらに感心していたのを僕は記憶しています。
そのデゴバGODIVAがコーヒー店をやっているので「一度入ってみようか」ということになったのです。土曜日の昼前ということもあってか2~3の客しかいませんでした。
もうそろそろ演説会が始まるかなと思い外に出ました。聴衆は意外と少ないなと思いました。はじめに北海道の民主党議員2名の演説があり、そのあと、岡田代表の登場でした。さすがにそのころになると歩道は多くの人々で埋め尽くされ、警察官は大忙しでした。
僕らが岡田代表の演説を聞きたいと思ったのは共産党の志位和夫委員長が野党に呼びかけている「国民連合政府」の構想をどのように思っているか、また、岡田代表を少しでも後押しをして「国民連合政府」を実現してほしいと思ったからです。
しかし、今日はそれに一切触れることがなく「立憲民主主義」とはという話でした。
朝日新聞を見るとノンポリの僕には到底わからない様々な民主党の事情があるようです。
それでも僕は、まず安保法制に関する閣議決定を覆し、採決の無効を宣言することを第一に「国民連合政府」に向けて動いてほしいと強く願っています。そうでなければこの法制は本当に「戦争法」になってしまうのではないかと思うのです。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11983441.html
(どうでもいいことですが・・・)
雑踏の中に僕は妻を見つけました。「私ね、岡田さんと握手をしちゃった」と開口一番。僕も負けじと、どさくさに紛れて握手をしました。
これにめげず ― 2015/10/05 23:55
「選考されませんでした」という文字が書かれていました。
これが届くまでは何かにつけて気持ちが宙ぶらりんで身が入らなかったのですが、これで一区切りです(笑)
今回のが6本目の作品でした。自信作ではあったので残念なのですが、落選もありでよい、と思っています。
ずいぶん前になりますがある小説家のエッセーを読んだことがあります。若いころは書き上げた小説を出版社に送り続けて、何十社目かでようやく認めてもらったという話です。むろん、僕のはそこまで立派な話ではありませんが、応募作品を郵便局から送るたびに思い出します。
また、僕自身の経験ですが・・・。30歳代に英語学校を始めたころのことです。僕にとって一番経費の掛からない宣伝方法は街頭でチラシを配ることでした。受講者獲得の確率は、と思いながら街頭に立ちました。一般的に言われていたのは1000枚配って3人の問い合わせ、ということでした。
結果も大事なのですが、僕にとって一番有益なのは、作品を応募できるレベルまで昇華させる過程なのです。締切日ギリギリに郵便局から送り出すまで、作品と対話をし続けます。それは楽しいというよりは、途中で投げ出したくなるくらい苦しいと感じることが多い作業です。
そんなことでキヤノンギャラリーは失敗でしたが、次はどこのギャラリーの公募に送ろうかと考えています。幸い、近頃は「使用機材は弊社のに限る」という文言がなくなってきているのはありがたいと思っています。
まず、少し勇気を出して、応募することだろうと思っています。
写真は昨日の夕方です。久しぶりに虹を見ました。
田原総一朗のSEALDs印象 ― 2015/10/08 21:05
(全文は下記のURLから)
SEALDsの若者と直接話してわかった、意外な真実とは?(田原総一朗) - 注目の記事
http://blogos.com/article/137555/
9月19日、安保法制法案が参議院で可決された。この法案に反対する人びとが国会前に押し寄せ、2万人ともいわれる大規模なデモとなった。
25日深夜の「朝まで生テレビ!」は、「激論! 安保国会・若者デモ・民主主義」をテーマに放送した。今回、若者デモの中心となっているSEALDs(シールズ)の創始メンバー、奥田愛基さんと諏訪原健さんの二人にも討論に参加してもらった。「SEALDs」とは、「自由で民主的な日本を守るための、学生による緊急アクション」の英語の略だ。
討論で、奥田さんと諏訪原さんに、「いったい何をそんなに怒っているのか」という質問を僕はぶつけた。これに対して奥田さんは、「僕たちの意見、国民の権利、憲法をバカにしていると思う」と答えたのだ。さらに、諏訪原さんが、「現在の国際的な安全保障関係をきちんと認識した上で、解決策を徹底的に議論してほしい。可決を急ぎすぎですし、異論もあります」とまで述べている。
僕は意外だった。実は、僕はもっと単純に「戦争反対」という答えだけが返ってくるかと思っていたのだ。だが彼らは違った。彼らは「プロセスに異議あり」と言っているのだ。
もうひとつ意外に思ったことがある。彼らを報道するとき、いつも彼らがデモの集会で絶叫しているシーンが映し出されている。だから僕も、彼らのデモを熱狂的なムーブメントにすぎないのでは、と思っていた。しかし、彼らはデモについて、「ひとつの手段でしかない」と語っているのだ。そして、なによりも彼らは地道に勉強もしているし、自分たちでパンフレットを作成し、配布しているという。
彼らは自分たちの活動を、「あくまでも『緊急』ですから、次の参院選挙を区切りに解散する」と冷静に計画を立てている。
そんな僕や、当時の多くのデモ参加者に比べると、SEALDsの若者は、しっかりと勉強し、考えているように見えた。彼らのデモを実際に見て、討論に参加してもらったことで、メディアの報道ではわからない、真摯な姿を発見できたのだ。
奥田さんが語った、「賛成派、反対派はお互いにレッテル張りをしている」という言葉も印象的だった。きちんと会って話を聞かなければ、本当のことはわからない、僕はそう改めて思った。
もうひとつ、僕が興味を持ったことがある。奥田さんの次の言葉だ。「震災以後、主体性を持って、自分の考えを言うことが大事だと思った」というのである。津波、原発事故、復興の困難さなど、とくに10代であの震災を体験した彼らは、大きな影響を受けざるを得なかったのだ。
震災は、日本にとって不幸なことだった。だが、僕たちはこの経験を活かしていかなければならない。そのためには、主体性をもって自分の意見を出さなければならない。だが、主体性をもちながらも、異なる意見の人とも柔軟に話し合い、行動を起こすことも必要だ。SEALDsのふたりのような若者が、これからは増えるのではないか。僕は期待しているのである。
SEALDsが現れた背景を考えるとき、ネットを無視することはできない。ツールや場としてネットを使いこなす人びとが増えるとともに、新しい政治、新しい民主主義が生み出されるのではないか。楽観主義かもしれない。だが、そんな希望を持つにいたった、若者たちとの出会いだったのだ。
シールズ公式サイト
http://www.sealds.com/
動画
https://www.facebook.com/video.php?v=420702274805005&set=vb.252421591633075&type=2&theater
写真幻想=ピエール・マッコルラン= ― 2015/10/09 16:59
朝日新聞の記事(画像)とサンデー毎日の記事があります。書き手はそれぞれ違います。写真に関心のある方は是非、ご一読ください。
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サンデー毎日 2015年8月30日号
SUNDAY LIBRARY:陣野 俊史・
評『写真幻想』ピエール・マッコルラン/著
◇紡がれた言葉によって、時代がより鮮明に映る
◆『写真幻想』ピエール・マッコルラン/著 昼間賢/訳 (平凡社/税抜き3200円)
通常、写真集には短い言葉がついている。余計な言葉、ではない。写真に向き合って、写真という表現に言葉で拮抗(きつこう)しようとする者の批評の言葉である。
両大戦間、というから今からほぼ100年ほど前、パリを撮影した有名な写真家たちがいた。そして彼らの写真について見事な言葉を紡いだ者がいた。ウジェーヌ・アジェ、アンドレ・ケルテス、ジェルメーヌ・クリュル、そしてブラッサイといった写真家の写真について、ピエール・マッコルランは時に短く、時にやや冗長ともいえるほど長く、言葉を残している。文学の雑誌の連載の中で、あるいは写真集の序文で、マッコルランは見事に写真を時代の諸相の中に置き直す。
「写真芸術は文芸の一種である。より正確に言えば、撮影機は、とりわけそれが生を固定するとき、人間の感情の刷新に役立つとは言わないまでも、少なくともその周囲で起こっていることを理解させてくれる」
これは、アジェの写したパリについての言葉。写真について語りつつも、それが文学や音楽とどんなに深く関わっているか、マッコルランの関心はそこにある。
そもそもこんな本、すごく珍しい。個別の写真家の写真集は存在するし、有名な批評家ならその批評本も珍しくはないだろう。だが、さまざまな写真家の写真について語りつつ(当該写真も掲載されている)、そこから時代の不安や社会が抱えていた幻想までが浮かび上がるような本は、めったにお目にかかれない。そもそもそうした写真集についての文章など散逸してしまって、まとめられることもあまりないのではないか。
と、思っていたら、マッコルランって、澁澤龍彦や生田耕作が愛読した作家なんだそうだ。変名でポルノ小説や冒険小説も書いた、とか。やるなあ。
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◇じんの・としふみ
1961年生まれ。批評家。『じゃがたら増補版』(河出書房新社)、『サッカーと人種差別』(文春新書)など
転移なし ― 2015/10/13 20:03
当時、札幌の民間病院がPETの機械を導入したというのがニュースでした。僕は妻の説明を受けて「じゃ、二人で受けようよ」となったのでした。僕はガンなんて言うのには縁がないと勝手に決め込んでいましたから何の不安もなく予約をしました。
検診はほぼ丸一日かかりました。
結果は意に反して左の腎臓に4センチ未満のガンが見つかったのです。
なかなか単刀直入に説明をしようとしない医師に僕はイラッとしながら自分で言いました。「つまり、ガンは見つかったということですね」と。
以来、毎年今頃、PETを受けた病院ではなく、手術を受けた北大病院の泌尿器科でもろもろの検査を受けています。今日はその12年目でした。
朝9時半から採血、肺のレントゲン写真とつづき、医師との面談は12時頃になりました。
北大病院には大勢の医師がいますから毎回、異なった医師に検査結果を聞くことになります。今日の医師は年齢から判断して泌尿器科の講師くらいかなと思いました。
昨年のレントゲンと比較しながら「きれいです。全く変化がありません。もう定期検診は不要じゃないでしょうか」と言いました。僕は一瞬考えて「来年もお願いします」と言いました。というわけでまた一つ、2016年の予定が決まりました。
妻ともども、神様に感謝する今日でした。
写真は僕の肺の写真です(笑)
福島菊次郎氏 逝去 94歳 ― 2015/10/24 22:53
今日、アマゾンから「DAYS JAPAN」が届きました。多分、日本で発行されている唯一のグラフ誌だろうと思います。氏の特集が組まれています。
氏のことについては下記のサイトで少し触れています。
http://tadashi.asablo.jp/blog/2013/05/22/6819279
氏の最後の写真集「証言と遺言」の最後のページに「闘え」とお書きになったことが記されています。
最近の表現で言うならフォト・ジャーナリストなのかもしれませんが、日本の巨人が一人、逝かれました。
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