日々・その11 記憶力2012/03/03 13:10

 あるアメリカとフランスの写真家が対談をしている映像を見たことがあります。アメリカの方はジャズレコードのジャケットを、フランスの方はファッションの世界をとそれぞれ違うのですが旧知の仲らしく会話は機知に富み、僕は楽しみました。時代はまだ音楽CDやデジタルカメラが出回る前のことです。現像液はやはりコダックのD76がいいとか増感したときには温度を上げすぎるとどうなるとか、専門の話が続いたあと、二人の話は互いの趣味のことになりました。

アメリカの方:「趣味!そんなこと考えたこともない。写真の仕事をして生きていること自体が趣味だよ」と。

フランスの方:「僕にはたくさん趣味があるよ。まあ、一番はヨットに美しいモデルさんを乗せて写真を撮りながら航海することかな」と。

終いに二人とも「僕らにとっては、結局は仕事も趣味も同じことだ!」と自嘲気味に笑っていました。
 それを見ながら僕にとっての趣味は何かなと考えていました。

 僕は本気で履歴書を書いたことは一度くらいしかありませんが、「趣味」の欄には「読書」と書いたように思います。書きながら「何が『読書』か。あまり能がないなァ」と思ったことがあります。
 読書は好きですが僕は特定の分野のを読むということがなく、新聞から、無料配布の小冊子まで興味が涌くのは何でも手にしたがる性質です。
 と書きながら死んだ父の書棚を整理したときのことを思い出しました。母屋にだけでは置ききれず、家が傾いたら困ると云いながら母屋から廊下伝いにゆける書庫を作って、80年分の本たちが所狭しと保管されていました。そのときに思ったのですが僕の本の読み方は父親と同じだなと。

 そんなことで「趣味=読書」と書くなり、他人に話すのは小恥ずかしいのです。ましてや僕の机の回りにはだらしなく、終いまで読みきれず、途中のページにシオリのつもりで古い茶色に変色したレシートやテッシュがはさまれた本がたくさん「積読」になっていますから尚更なのです。

 さすがに父の書棚にはそのような「状態」の本はありませんでしたが、晩年読むつもりだったであろう書店の袋に入ったままの本はたくさん残っていました。

 前置きが長くなりました。続きはまた。

 写真は2月24日の青森埠頭。排雪は海へ。

日々・その12 記憶力2012/03/04 19:54

 僕はご飯を食べた後2~30分もすると眠気に襲われます。誰でもそうだろうと言う向きもあるかもしれません。しかし、問題はそのときに「こんなことをしちゃいられない」と思ってやおら腰を上げて動き出すか、その眠気の心地良さに身をゆだねてトロトロするかなのです。 
 僕は今も仕事はしていますが数年前までのように時間に追われての仕事はしていません。というか、納期を自己都合に合わせているというのが正確だろうと思います。で、ついついこの心地の良い眠気を歓迎してしまうのです。その結果、観ていた筈のテレビのニュースは終わり、何やら次の番組が始まっているのです。
 ここでも僕は自分の父のことを思い出します。やはり、父も食後ウトウトとしていました。ときどきいびきさえ聞こえていました。僕はその様を見ていて僕もそうなるのかなァと思った記憶があります。
 加齢と共になのか、仕事絡みの責任が若い頃ほどでなくなったせいか、緊張感が薄れてきているのは確かです。
 僕の今の環境は、朝食を食べて、さァ、職場へということはないのです。
 そんな生活をここ数年過ごしてきました。無論、写真の作品づくりに取り組んでいるときにはあまりのんびりしてはいられません。しかし、毎日時間通りに出勤をするというほどの緊張感はやはりありません。

 そんな中、先日も書きましたが30年前にやっていたアマチュア無線のことを思い出し、もう一回取り組もうと思いました。当初と同じ初級の免許での再開はチョッと格好が悪いような気がしました。そこで、モールス信号を覚えるのに四苦八苦はしましたが一つ上の免許の講習を受けて何とか取得をしました。目標は達成しヤレヤレと思ったのです。 勉強はそれなりに苦労をしましたが、昔の知識が少し戻ってきました。高慢にもじゃ、もう一つ上の2級アマチュア無線技士の試験を受けようかと思ってしまいました。高額な参考書を2冊も買ってぱらぱらと問題と解説を読んでみましたが・・・僕の脳みそは完全に拒否、手も足も出ませんでした。どのページを見ても僕の頭の中は「?」ばかりでした。3級とは大違い!。僕のもっとも嫌いで不得意な無線工学の複雑な計算がいくつも出てきたのです。やはり僕には無理と思い、参考書の出費の元は取れず、あきらめました。
 そんなときにWEBであれやこれやアマチュア無線のことを調べていたらアメリカのアマチュア無線の試験の問題を見つけました。

 写真は青森の実家の前の歩道。兄は大型の除雪機を使っているのでこれくらいまで歩道が広くなっていますが、他はほとんとケモノ道程度の幅です。青森市も除雪の予算を使い果たしているようです。

日々・その13 記憶力2012/03/08 23:44

  アマチュア無線に興味がない方にとってはあまり面白くない話かもしれません。ご勘弁ください。もうじき67歳になる僕が日々何をしているのかを書こうと思うと、最近の僕の出来事としては避けてられない話題なのです。

 アメリカと日本にはアマチュア無線の「相互運用協定」なるものがあり、アメリカの免許を持っているとその級に値する日本の資格が付与され電波を出すことができるということなのです。つまり、日本の第二級アマチュア無線技士受験問題集を見て手も足の出ないと思った僕でもアメリカの制度のジェネラル(General)という三段階の真ん中の試験に合格をすれば第二級アマチュア無線技士と同じ資格所有者となり、基本的に200ワットの短波の電波を出すことができるのです。加えて、この試験は札幌で受験ができるのです。
 アメリカの制度では初級テクニシャン(Technician)の試験に合格してから中級のジェネラルの受験ができます。出題される問題は全てが公開されていて一字一句の違いなくそれらの中からそれぞれの級につき35問がコンピュータによって生成されて出されます。公開されている問題数は二つの資格対象分で850問です。好奇心から単語数を調べてみたら42,305単語くらいです。出題形式は4択です。

 僕は英語屋ですから問題を読むことは出来ます。法規に関することは何回か読めば理解できます。しかし、やはり理数系の無線工学が問題です。無線工学の専門用語には全く馴染みがありませんから、僕はそれらの単語の勉強から始めているのです。
 そして、そこにはもう一つの大きな問題点があることに日々気付かされているのです。やはり50歳代の時の脳の反応と67歳になろうとしている今のとでは大きな隔たりがあるのです。僕の脳は津軽三年みそになっているような気さえするのです。
 それでも日本の試験問題よりは実用的な設問がなされているので、少しの望みを持っているところです。

(Technician)
For whom is the Amateur Radio Service intended?
アマチュア無線業務は、どういう人を対象に考えられているか?
A. Persons who have messages to broadcast to the public
× 一般向けに放送したいメッセージを持っている人
B. Persons who need communications for the activities of their immediate family members, relatives and friends
× 親しい家族・親戚・友人との連絡が必要な人
C. Persons who need two-way communications for personal reasons
× 個人的理由で双方向通信が必要な人
D. Persons who are interested in radio technique solely with a personal aim and without pecuniary interest
○ 金銭的利益の為でなく、もっぱら無線技術に興味がある人

 写真はニューヨークで。2006年

日々・その14 記憶力2012/03/09 22:17

  WEBでチョッと調べてみると・・・アメリカで無線法が施行されたのが1912年です。その年は孫文が中華民国の成立を宣言し、タイタニック号が沈没しました。日本では1926年(大正15年・昭和元年)に日本アマチュア無線連盟が設立され、個人が短波の電波を発する私設無線局が認可されました。同じ年に今のNHKが始まりました。翌年の1927年、上野-浅草間に地下鉄が開通しています。

 第2次世界大戦が終わり、社会が少し落ち着きを見せ始めた1951年には第1回アマチュア無線技士国家試験が実施されました。
アマチュア無線は趣味の一つなのですが多分、唯一、国家試験で資格を取得しなければならない趣味ではないかと思います。従って、電波法によって下記のように定義がされています。
「金銭上の利益のためでなく、もつぱら個人的な無線技術の興味によつて行う自己訓練、通信及び技術的研究の業務をいう」

 日本の現在の制度にはアマチュア無線資格が4段階あります。4級が一番の初級で1級が最上級です。僕が最近取得したのは「第三級アマチュア無線技士」資格です。モールス符号を覚えられない僕が何故この資格を取る事ができたかには技術の進化に大いに関係があります。 今日、無線機器の進歩によって船舶無線など、いわゆる職業無線士の業務でモールス符号が使われなくなったからです。現在の試験では「--- ・・・ ・- -・- ・-」と印刷されたのを「OSAKA」と解読をすれば良いのです。そのことはアメリカにおいても同じことで2007年2月からモールス符号が試験から外されました。このことは、またも僕にとっては見方になってくれる好都合なことでした。

 それにしても、と僕は嘆いています。まず、勉強に集中できる時間が短くなっていることを実感しています。少し出来たかな、と思うとすぐ新聞でも読もうかとか、TVのニュースの時間だなどということが頭に浮かんでくるのです。
 加えて、覚えたはずのことが長時間、頭に残留してくれません。僕は今度初めて67歳になろうとしているのですが・・。
 定着率、極めて悪し。記憶拒否の暗雲が頭上に立ち込めています。

 写真はペンシルバニア駅のAMTRAK。電車の長距離旅行は良いですね。短波で世界を旅するようなものかな、と。
 お時間がありましたらこちらもどうぞ。2006年
 http://www.youtube.com/watch?v=mjt6Y5-MPqo

日々・その15 記憶力2012/03/10 22:47

 僕にとってのアマチュア無線の楽しさは、と訊かれると、やはり短波で国内はもとより世界の人々と話が出来ることだと思っています。
 今日、国際電話は格安になりました。インターネットで世界中の人々と、それも無料で話が出来る時代にもなりました。それでも遥か彼方から聞こえてくる、見ず知らずの土地の市井の人の生の声に僕は感動を覚えるのです。
 上空150~800キロメートルにある電離層という電波を反射する電子の帯と地球の間を何度も反射を繰り返して、電離層の状態がよければ地球の裏側かでも声が届くのです。その意味で僕は音声ではない「ト・ツー」というモールス符号を覚えるのに興味がありません。
 短波で聞こえる音声は明瞭なときと雑音に打ち消されそうなときと様々です。しかし、そのガーガーピーピーという雑音の中から人の声が浮かんで聞こえてくるときはドキドキしてしまいます。多くの人にとってはどうでも良いことなのでしょうが、そこがやはり趣味なのだろうと思います。

 今回、アメリカの試験問題を読んでいて、同じアマチュア無線ですが運用の仕方や試験への考え方がだいぶ違うような気がしています。
 先にも書きましたが日本では国家試験です。従って官庁の監督下におこなわれているようですが、アメリカのは有資格のヴォランティアの人々が実施しています。幸い、先達の方々のおかげでこのヴォランティアによる試験が日本においても認められているのです。有資格が3名居るとその地で試験を実施できるようです。札幌ではヴォランティア活動が盛んで毎月おこなわれています。
 
 アメリカとは相互協定を結んではいますがある意味、不平等条約ではないかと思っています。アメリカの人々がアメリカで日本の国家試験を受けたいと思っても(そんな人は居ないとは思いますが)出来ません。また、非アメリカ人でアメリカの免許を持っている人は飛行機でアメリカに到着し次第、すぐに電波を出すことができます。しかし、アメリカの免許を持ってる人は日本では面倒な書類を書いて「開局」の手続きをしないと電波を出すことはできません。何故なのか僕には分かりませんが、僕にはありがたいことです。まア、懐の深さとしておきましょうか。

 試験問題にこんなのがあります。
Which of the following frequencies is available to a control operator
holding a General Class license? ジェネラル級免許で、コントロールオペレータになる事ができるのは、どの周波数か?
A. 28.020 MHz×
B. 28.350 MHz×
C. 28.550 MHz×
D. All of these answers are correct○全ての選択肢が正しい

写真はボストンの夕暮れとき。2006年

日々・その16 記憶力2012/03/11 22:47

 僕はここしばらくアメリカのアマチュア無線問題集(FCC Element 2 Amateur License Preparation Gordon West, WB6NOV著)とWEBの模擬試験を併用して勉強中です。この本に付録でCDが付いています。Gordon氏が実際に交信している様子が録音されています。勉強の動機付けにとでも思ったのでしょうか。その交信の中に「This is the Pentagon Amateur Radio Club,K4AF」というのがありました。K4AFはクラブのコールサインです。僕は「へ~」と思いました。あの機密一杯のペンタンゴン(アメリカ合衆国の国防総省の本部庁舎)にアマチュア無線のクラブがあって活動をしているのです。
 HPを探したら下記のサイトがありました。
http://www.k4af.org/
===============
The Pentagon Amateur Radio Club (PARC) is open to all active duty military, government civilians, or contractors assigned to the Pentagon. If you currently have a license, are just curious about amateur radio, are interested in becoming a member, or would like to attend a meeting, please send an email to one of the POCs listed below under Contacts.
ペンタゴン・アマチュア・ラジオ・クラブ(PARC)は、すべての現役の軍属、政府職員、またはペンタゴンの請負業者(受託業者)に公開されています。あなたが現在免許があるか、アマチュア無線に関心があるか、会員になることに興味を持っているか、クラブのミーティングに出席したいと思うならば下記に電子メールを送ってください。
================
 で、日本の防衛省にもあるかなと思って探しましたが、見当たりませんでした。

 今日は震災の1周年です。夕食後、TVを3時間ぐらいも観ました。その中でアメリカの海兵隊がどのような救援活動をしたのかの紹介がありました。倒壊した居酒屋の庭先では瀬戸物を一枚一枚丁寧に拾い集め、店主に手渡す作業や気持ちがうつろになっている小さな女の子に持参したぬいぐるみを手渡してくれる女性中尉の姿が映し出されていました。僕はあの不屈と言われる「アメリカ海兵隊」の、限りなく普通のそして、豊かな人間性を彼らの所作に見て、感動を覚えました。心からありがとうございます、といいたいと思いました。

 写真は鉄道駅で見かけた公衆電話。左の電話の説明に「30秒25セント。市内通話と交換手との通話は不可」と掲示されています。2006年

日々・その172012/03/17 20:02

 ここ数日大変調子が悪い日が続いています。
今日はなかなか熱が下がらないので改めて耳鼻科へ。そうしたらすぐに綿棒の長いので鼻の中と喉の奥の粘膜をチョコチョコっと触って、しばらく待ってください、と。
 僕は看護士さんの指示でカーテンで仕切られた奥の方へ連れてゆかれました。いわゆる「隔離」されたのです。マスクを持っていますか、と訊かれましたがあいにく持っていませんでした。年配の看護士さんは早速く新しいのを調達してきました。
 数分後に又呼ばれました。医師は「大坂さん。B型インフルエンザだよ」と気楽に宣言をしてくれました。
 僕が新しい薬をもらってこれで直に全快だと思ったのは素人の浅ましさ。
 この頭が重い、鼻汁は止まらない状況はしばらくつづきそうです。
 
 インフルエンザは感染しても数日しないと種類を特定できないと言うことでした。
 皆さんもどうぞお気をつけください。

日々・その182012/03/18 23:19

 「イナビル吸入粉末剤20mg」という吸入式の薬を服用しました。それが昨日の午前10時半ことでした。それから安心感と共に数時間眠りました。しかし、体温は相変らず39~38度でした。僕はまさかと思いました。2度目に測りなおしても同じでした。
 そこでWEBで調べてみましたら、解熱効果が出るまでの時間は早い人で24時間、遅い人で48時間くらいの時間かかるという、ある薬剤師の投稿が目に付きました。 僕は願わくば24時間で効果が出ますようにと思いました。
 今朝は9時頃に目が覚めました。薬を飲むための食事を軽くしたらまた眠気が襲ってきました。この際、我慢する必要もないだろうと思いベッドに戻りました。目が覚めたのは11時頃でした。
 体温計は37度を示しくれました。体が一気に軽くなり、気力も少し出てきたような気がしました。

 「イナビル」は1回のみの投薬です。
 粉末があまりにも細かく、吸入しても口内で何の実感もありません。従って、本当に吸入が出来たのかどうかが分かりません。僕には不安感だけが残りました。でまた、WEBで。ご興味がありましたらどうぞ。
 http://www.youtube.com/watch?v=xscJ0TIDRYM

日々・その19 インフルエンザ2012/03/28 21:39

  しばらくご無沙汰していました。「イナビル吸入粉末剤20mg」のことを書いて以来10日もたってしまいました。つまり、僕はこの10日間、完全に気力を喪失し、TVを観ても興味が持てず、日々の新聞は手付かずで積読となり、寝ていても起きていても吐き気に悩まされるという、21歳のときにパリで死を覚悟したときと同じ状況を45年ぶりに再体験をしたのです。
 当時のことは以前に詳しく書きましたが、45年も経ってあれはインフルエンザであったのだなと、今回はじめて分かった次第です。

 当時はパリの安宿の天井を見つめながら悪寒でブルブルと震えながら下痢に苦しみ、独りで死への恐怖を感じていました。しかし、今回は独りではなく妻が居ました。僕のインフルエンザには感染はしななかったものの珍しく強い風邪の症状でウンウン唸ってはいましたが妻が共に居てくれることが大きな違いでした。加えて医師の診察を受け、薬を飲むことが出来、寒さに震えることも無く、ホテル代金の支払いの心配もすることなく・・と考えれば実に「恵まれた」環境でのインフルエンザ体験でした。

 昨日は薬が切れたので診察のため久しぶりに外出をしました。もう少しですね、と云われて再度、錠剤の処方を頂きました。

 今日あたりから食事の後の吐き気も無くなり、一段落しているところです。

 少し春めいてきたすすき野。2012.3.27

日々・その19 聴力検査2012/03/29 21:17

 今回のインフルエンザ騒動で実感したことがあります。
 近頃の体温計は電子型というのでしょうか、昔のように目盛りを読む必要はなく数字が表示されます。その意味では大変便利だなとは思うのです。
 我が家のは何時ごろに購入したのか定かではありません。プラスチックのケースにきちんと収まっていますから粗末には扱っていなかったと思うのですが、印刷された説明書が見当たりません。体温計の細かな文字のどこを読んでも何分で計れるということの記載がありません。妻は「ピッピ」という音が聞こえたら時間が経過したことだと言います。

 僕は腋の下に挟んでじっと、ピッピが聞こえるのを待ちます。しばらくすると妻が「聞こえてるよ」というのです。僕には聞こえないのです。次回こそはと思ってテレビの音を消して雑音がないようにして、注意深くピッピを待ちました。しかし、又も妻に「聞こえてるよ」と先に云われてしまいました。内心実に腹が立っているのですが聞こえないのは聞こえないのです。

 インフルエンザにかかる10日ほど前だったと思います。妻の眼鏡の調整のためにいつものグランドホテルの近くにある眼鏡屋へ出かけました。僕はその店でいつも見かける「聴力検査」のポスターが気になっていたので丁度良いと思い検査をお願いしました。僕は特段耳が遠くなったとは思っていませんでしたから、どちらかと言うと好奇心からのことでした。
 防音された1メート四方くらいの装置がたくさん置かれた小部屋に案内されて15分くらいの検査を受けました。
 「特定の高音領域が聴きづらくなっているようですね」という判定を受けたのです。続けて「ま、年齢相応というところでしょうか。ついては・・」と30万円ほどの補聴器を勧めてくれました。

 腋の下に挟んだ体温計に音量の調節がついていれば良いのにと思いながら、聴力検査のことを思い出していました。

 僕は先日、ピッピではなくビービーという振動で教えてくれる体温計を買いました。

 写真は札幌駅方面の駅前通り。すっかり雪がなくなりました。
 2012.3.29
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